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そろそろアラフィー美香です。医療関係に勤める傍ら、日々感じたことを、忘れないように、書き留めてみました。福岡在住


by branchleaf
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ほとけの座

 ず~っと、更新していませんでした~。子供の育児に追われて・・・すっかりブログをやめていました。

ほとけの座_c0220365_20355216.jpg


# by branchleaf | 2020-03-20 20:37

AKB48 がんばってね

  パソコンで仕事をしながら、何となくテレビをつけました。
かわいい女の子たちが歌って踊っていました。よく見ると、ほう!これがAKB48というもののようです。

テレビからですが、熱気と若さと元気がむんむんに伝わってきます。なるほど、よくできているな~・・・思わず感心して、仕事どころではありません。

 映し出される女の子はどの子も、人生のもっとも美しい時を謳歌しています。まだまだ、人生は始まったばかり、ショービジネスに青春をかけて、一生懸命がんばっている姿は、とってもけなげ・・・

 よくよく聞いていると、歌も、なんだか、どこか懐かしいしらべ。ちょこちょこ、どこかで聞いたことのあるような心地よいメロディー。70~80年代に完成されたアイドルJポップ。まんざら聞いたことのないコード進行でもなさそうです。作詞は、どれも秋元康。ショービジネスの天才。衰えることを知りません。この人すごいな~・・・

 大量の可愛い女の子がステージで、踊り歌う映像は、なかなか圧巻。良く練習されたダンス。これだけ何曲も歌って踊るには、血のにじむような練習をこなしているんでしょう。ちゃらちゃらしたアイドルなんて、気楽に言うのははばかられます。良くできたダンス。衣装もなかなか楽しめます。

 でも、やっぱり美香さんは、ちょっと歳をとりすぎているようです。

 この子たちに流れる時間は結構短く、あっという間に人生の荒波をくぐりぬけるんだろうね、と華やかなステージを見ながら、なんだかため息がもれます。
 ”フォーリンラブ。運命の人に巡り会った!”って歌っているけど、それは、錯覚だったのね。ってことにも気づくでしょう。
 人生の扉をあけたその向こうには、結構シビアな現実が待ちかまえているものです。

美香さん、テレビに向かって、思いっきり老婆心がわき起こります。

 自分を見失わず、がんばって幸せになってね。(笑)

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# by branchleaf | 2011-11-12 17:56 | 社会
 親友の命日になったので、実家にお電話しました。
7月に、お母さんから、みかんを送っていただいて、お礼の電話をしました。それ以来です。
「もしもし、○○です」
電話に出たのはお姉さんでした。しかも彼女は、嫁ぎ先の苗字を名乗ります。お姉さんは福岡に住んでいるので、熊本の実家に帰られているのだな、と思いました。
 でも、それなら、実家の苗字を名乗るはず。不思議だな、と思いました。
「熊本の方におかけですか?」

 え?私は意味がわからず、言葉が告げません。
「あの、Tちゃんのお姉さんですよね。今日はTちゃんの命日なのでお電話しました。お母様と、Tちゃんのこと話したいなと思いまして・・・」

 かろうじて、私はそう言いました。
「そうですか。本当にありがとうございます。母も喜びます。」

 そして、沈黙のあと、
「実は、母は7月に亡くなったんです・・・」

 私は一瞬身動きできませんでした。
実は、私がかけた電話は、お母さんが亡くなって、住む人を失った熊本の家から、転送電話で福岡のお姉さんのところにつながっていたのでした。

 Tちゃんは、末っ子だったので、40過ぎて、亡くなった時、お母様は80を超えられていました。いつまでも、お元気ではいられないのは十分承知していましたが、お母さんが生きていてくださる間は、Tちゃんは身近にいてくれるような気がしていました。

 Tちゃんのところに行きたい、といつも言われていたお母様。2年目の命日を待たずに、彼女のもとに旅立ってしまったのです。
 私は、電話口で人目もはばからず泣いてしまいました。

 Tちゃんと大学時代遊んだ思い出や、卒業後に会って話したたわいない会話、思い出して胸がつまります。お母さんは、命のおおもとのような存在。Tちゃんがなくなった今となっては、かすがいのような存在でした。とうとう、お母さんまで逝ってしまった。

 月日がどんどん猛スピードで走っていくのを思い知ります。

 家に帰って、ふと目をやった雑誌に、女優の岸恵子さんが載っていました。何年も前の雑誌でした。
 岸恵子さんなんて、もう相当お年でしょうね。最近ではテレビで見かけることはほとんどありません。彼女が、今の樋口可南子さんみたいに活躍していた時代が懐かしいな~。
 あの頃は、まだまだ私たちは駆け出しで、人生のクライマックスからはまだ程遠い、可能性も不安も何もかも混沌とした時代を駆け抜けていたものね・・・

 人生はまだまだ長い旅だと思えていたものね~。
Tちゃんとおしゃべりしたいな。私は、命日にTちゃんのことを語る相手もなく、一人寂しく思います。

 秋の月夜は静かです。
亡くなった親友のお母さん_c0220365_23134766.jpg


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# by branchleaf | 2011-09-17 22:54

友達を失って2年・・・

 すごい台風でした。末法思想もまんざらうそでもないかも、と不安になっております。
 日々ばたばた過ごしていたら、なんと9月です。
2年前の9月に、美香さんは親友を癌で失いました。 彼女とは大学からもう四半世紀の仲でした。いつもくっついていたわけではありませんが、同じところで笑える相手でした。

 感性が鋭く、話題があらゆるところに飛んでいく彼女は、稀有な友人でした。
友人とは、知り合いではありません。ある人が、友人とは、自分の喜びを、一緒に喜んでくれる相手だと言っていました。
なるほど、それは本当です。
 でも、ひとつのことを感じる感性が似通っている、というのも、私にとっては、大切な友達の条件です。50年近く生きてきていても、そんな相手にめぐり合うのは、奇跡と言いたくなるほどの
めぐり合わせです。

 私の喪失感は、ものすごいものでした。
遠くに住んでいた二人は、よく長電話しました。私は、話す相手を失ったので、ブログに向かって、日常の感動や気づきを書き連ねることに熱中しました。ブログは一方通行ですが、書いていくと、心がすっとします。人間、インプットと、アウトプット、両方ないと、バランスがとれないものかもしれません。ブログは良いアウトプットなのだったのでしょう。

 でも、数ヶ月して、ブログを通じて、私は奇跡的な出会いをしました。ブログに書き込んでくださるKEIさんという方とお友達になりました。
 文章は、その人の人柄や好みを見事に反映するものです。顔もみたことのないKEIさんの、コメントやブログ”ことばの花束”は、感じ方や好みが繊細でとっても好きでした。旧知の友人のように感じました。

 神様は、いきなことをしてくださる。親友が旅立った心のスペースを、こんな形で修復してくださったのね。私はひそかに、老後のお友達(老後まで、ずっと親しくしてください)と思っていました。

 でも、私は、突然KEIさん失ってしまいました。
彼女のブログがお休みになってしばらくして、再開されたので、うれしくて、一気に読みました。そして、私は放心してしまったのです。
書いたのは、KEIさんではなく、ご主人様でした。そこには、信じられないようなことが書いてありました。

「KEIが亡くなりました・・・・」

病気が発覚して、一ヶ月の急変だったそうです。

私は、一気に涙のうずに飲まれてしまったのです。KEIさんのおかげで、親友のいない寂しさがどれほどなぐさめられたことでしょう。

親友のを失って2年。悲しいメモリアルがめぐってきました。
親友の家族も、KEIさんのご家族もどれほどさびしい思いをしているでしょう。悲しさが痛みとなって押し寄せているのではないかと思います。天で、再会する日までの、しばしの別れを悼みます。どうぞ、ご家族の上に、大いなる神様の慰めと助けがありますように。


親友も、KEIさんも、私の心には永遠に刻まれ生きています。
KEIさんも親友も好きだと言っていたユーミンをかけましょう。



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# by branchleaf | 2011-09-08 00:18 | 誰かの人生のお話

SL山口の美しの旅

SL山口の美しの旅_c0220365_1255925.jpg

 SL山口の旅をしてきました。山口線を蒸気機関車で、新山口から津和野まで。

 山口県で働いていた、若かりしころ、仕事で利用する駅でSLを見たことがありました。厚狭駅でしたから、あれは、SL山口の回送車だったのか、とうにSLはなくなった時代なので、今でも不思議なのです。・・・
 平日の昼下がり、私は仕事場に足を急がせていました。その時見たSLは、観光客でにぎわっているでも何でもない、ひっそりとしたホームに、汽笛だけとどろかせました。でも、私はそばを通り過ぎながら、視線は、黒いいかめしい鉄の箱にとどまります。ここは山口の田舎町、何もかも、静かにゆっくりと進んでいるような空間です。SLは、何でもないことのように普通にそこにいました。私がじっとみつめてあげないと、取り立てて何ということのない日常の絵の中にうずもれてしまいそうなくらい普通に。

 あれから、どれだけ月日が経ったことでしょう。
私は、1ヶ月前に、旅行代理店に申し込んで、やっととれたチケットをたずさえて、観光客であふれるSL山口に乗り込んだのです。

 風景をとどろかす汽笛の音。いかめしい車体。子供連れの観光客に囲まれてカメラの被写体となるのに忙しいSLは、あの昔、厚狭駅で見かけたそれとは、ずいぶん雰囲気を異にしていました。

 昭和のSLは、1975年をもって日本の線路から姿を消しました。私が小学校に入ったばかりの頃、少しだけ、近くの駅に入ってくるSLを覚えていましたが、あれはまさに、最後の最後だったのでしょう。

 ともかく、SL山口は、とてもとても感動的でした。車両に人格が存在するのだ、ということを明確に感じたことはこれほどなかったのではないでしょうか。汽笛は、まるで、彼の(彼女の?)心の叫びのように聞こえます。あまりに美しすぎるのは、昭和の鉄道では、SLが誕生からはるか時をへて、完成度がほぼ頂点に達していたからなのでしょうか。
 それとも、人類が、近代へ、時代のページをめくったアイコンとして、SLは、神が与えたものだからなのでしょうか。

 大げさとは思ったけれど、見るものの心の深いところにくいいる何かがあるようで、目頭が熱くなりました。

 そして、山口線を行けばまた、その美しい景色に桃源郷の思いを強くします。山口と島根の県境、民家は、石州瓦が赤く美しくてっぺんを飾ります。なぜか、このあたりの民家はどこも手入れが行き届いて、豊かな感じがします。過疎の村などと言いながら、実は、あとをつぐ、若い衆が連綿と家を大切にしているのではないかと思ってしまいます。
 SLに乗っていると、多くの人たちが、こちらに向かって手をふります。誰もが、幸福そうな笑みを浮かべています。

 ノスタルジーなのでしょうか。それとも、SL自体が生き物のように、人格を持つからなのでしょうか。誰もがやさしい気持ちになるようです。

 電力不足の夏。どのラインも、1台くらい、そっとSLを動かしてみたらいいのになあ、と思います。仕事に疲れ果てた大人たちが、不思議と平安を取り戻すかもしれません。時間のスピードが遅くなって、人は人に優しくなれるかもしれません。

 SLにまた乗りたいなあ。心をそこにおいてきてしまいました。
(写真の風景をかすめるのは、SLの煙です。)
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# by branchleaf | 2011-08-20 12:15 | プチ旅行