SL山口の美しの旅
2011年 08月 20日
SL山口の旅をしてきました。山口線を蒸気機関車で、新山口から津和野まで。
山口県で働いていた、若かりしころ、仕事で利用する駅でSLを見たことがありました。厚狭駅でしたから、あれは、SL山口の回送車だったのか、とうにSLはなくなった時代なので、今でも不思議なのです。・・・
平日の昼下がり、私は仕事場に足を急がせていました。その時見たSLは、観光客でにぎわっているでも何でもない、ひっそりとしたホームに、汽笛だけとどろかせました。でも、私はそばを通り過ぎながら、視線は、黒いいかめしい鉄の箱にとどまります。ここは山口の田舎町、何もかも、静かにゆっくりと進んでいるような空間です。SLは、何でもないことのように普通にそこにいました。私がじっとみつめてあげないと、取り立てて何ということのない日常の絵の中にうずもれてしまいそうなくらい普通に。
あれから、どれだけ月日が経ったことでしょう。
私は、1ヶ月前に、旅行代理店に申し込んで、やっととれたチケットをたずさえて、観光客であふれるSL山口に乗り込んだのです。
風景をとどろかす汽笛の音。いかめしい車体。子供連れの観光客に囲まれてカメラの被写体となるのに忙しいSLは、あの昔、厚狭駅で見かけたそれとは、ずいぶん雰囲気を異にしていました。
昭和のSLは、1975年をもって日本の線路から姿を消しました。私が小学校に入ったばかりの頃、少しだけ、近くの駅に入ってくるSLを覚えていましたが、あれはまさに、最後の最後だったのでしょう。
ともかく、SL山口は、とてもとても感動的でした。車両に人格が存在するのだ、ということを明確に感じたことはこれほどなかったのではないでしょうか。汽笛は、まるで、彼の(彼女の?)心の叫びのように聞こえます。あまりに美しすぎるのは、昭和の鉄道では、SLが誕生からはるか時をへて、完成度がほぼ頂点に達していたからなのでしょうか。
それとも、人類が、近代へ、時代のページをめくったアイコンとして、SLは、神が与えたものだからなのでしょうか。
大げさとは思ったけれど、見るものの心の深いところにくいいる何かがあるようで、目頭が熱くなりました。
そして、山口線を行けばまた、その美しい景色に桃源郷の思いを強くします。山口と島根の県境、民家は、石州瓦が赤く美しくてっぺんを飾ります。なぜか、このあたりの民家はどこも手入れが行き届いて、豊かな感じがします。過疎の村などと言いながら、実は、あとをつぐ、若い衆が連綿と家を大切にしているのではないかと思ってしまいます。
SLに乗っていると、多くの人たちが、こちらに向かって手をふります。誰もが、幸福そうな笑みを浮かべています。
ノスタルジーなのでしょうか。それとも、SL自体が生き物のように、人格を持つからなのでしょうか。誰もがやさしい気持ちになるようです。
電力不足の夏。どのラインも、1台くらい、そっとSLを動かしてみたらいいのになあ、と思います。仕事に疲れ果てた大人たちが、不思議と平安を取り戻すかもしれません。時間のスピードが遅くなって、人は人に優しくなれるかもしれません。
SLにまた乗りたいなあ。心をそこにおいてきてしまいました。
(写真の風景をかすめるのは、SLの煙です。)
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by branchleaf
| 2011-08-20 12:15
| プチ旅行